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作成日:2014/10/02
あたりまえを疑い、常識を超える

 常識とは、長い月日をかけて世の中の人々があたりまえだと思うようになったものの見方・考え方をいうのだろう。そこには、「そのように考えること、振る舞うことで、まわりの人々を不快な気持ちにさせず、スムーズに生活できる。」という、人々の暗黙の合意によって形成されたという意味で、一定の必然性や合理性があるのだと思う。今、「常識」とされていることについて、各人がいちいち議論していたら物事は進まず、世の中は破たんするかもしれない。

 とはいえ、それらは本当の意味で「必然的」で「合理的」なのだろうか?

 

 例えば、私は会社員がスーツを着るということの「必然性」に疑問をもっている。疑問というか、単純に「スーツって夏は暑いし、冬は寒い。非常に動きにくいし、通気性、発汗性が悪い。」と感じているというだけだが、さらに、夏は暑いから締めなくていいというネクタイにいたっては全く意味がわからない。これはいったい誰が決めたルールなのだろうか?なぜみんな一様に同じ格好なのだろうか?

 推測するに、そもそもは明治維新あたりの時期に、当時の次世代リーダー達が、欧米先進国から輸入したスタイルがカッコいいということになり、彼ら欧米人に倣ってフォーマルな場ではこのスタイルしよう。というように決めたのではないかと思う。それがやがて日本国中に広まったのだろう。

 たしかに、フォーマルな場では礼節を示す意味合いの正装は大切である。ただし、その一点での意味合いならば、なにも洋装である必要はない。すなわち、(どっちにしても機能性に難があるのなら)現代ビジネスマンはスーツを着る代わりに、将棋のプロ棋士のような和正装でもいいではないかと思うのである。もっと言えば、和装でなくてもいいかもしれない。

 これは極論ではあるが(そして私もしっかりスーツ着用だが)、ここで言いたいのは、上述の意見が正しいか正しくないかの議論ではない。あたりまえに思える物事を前にしての思考停止、惰性での生活を改めて、常にその意味(本質)や可能性を考えたいということである。

 

 ビジネスの現場では差別化の必要性が叫ばれて久しい。差別化とはすなわち、人と違うことを考えて、それを具現化していくということである。それには思考停止状態で、惰性ですごす日常生活を改めて、あたりまえを疑い、常識を超えるという意志が第一歩であると考えている。

                                         2014年9月 山 鹿 真 吾